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我々には四谷 Art Studiumが必要である


 Art Trace Pressがブラック・マウンテン・カレッジを対象とした特集の準備作業を進めるさなかで、四谷Art Studiumの閉校危機が突然顕在化し、この危機への粘り強い対処の努力が試み続けられたにもかかわらず、同校の今年度いっぱいでの閉校決定が近畿大学から正式に通告された。しかも、完全に一方的なこの通達は交渉の余地を一切与えずに為されたものであるという意味で最後通達以外の何ものでもなく、四谷Art Studiumに関与してきた研究員、講師、学生等の構成員の意向に一切耳を傾けずに、規模のいかんにかかわらず教育機関を独断的に、しかも通告の年度内で閉校しうると思考するという点ですでに、またこのような恥ずべき決断を為しうるという点で、近畿大学は教育機関としての最低限の倫理も持ち合わせていないという明白な事実をあからさまに示している。
 今日、ブラック・マウンテン・カレッジをその多層性において検討しようとする作業が、四谷Art Studiumで繰り広げられつつある実験を阻害するきわめて具体的な作用を思考することと連結しえないのであれば、そのような作業は我々の思考に対していかなる現実的な作用力も行使することはできないだろう。なぜならば、ブラック・マウンテン・カレッジも四谷Art Studiumも、いずれも、学校の形態をとっているとはいえ、まずなによりも、あらゆる事物と連結しうる思考のインフラストラクチャーの生産工場であるからだ。それゆえ、四谷Art Studium は岡賦」二郎という芸術家の作品でもなければ、岡賦」二郎の崇拝者たちの集会所でもない。それは、固有名も欠き、教師/学生という階層的な区分も欠いた、無数の異質な思考が錯綜とした連結を不断に実現し、これら思考の回路を事物に通過させる際に生じる抵抗を組織していく壮大な工場以外の何ものでもないはずだ。美術家の養成機関の体裁をとる美術大学という制度的な仕組みと決定的に離反する工場でありえたのも、四谷Art Studiumがこのインフラストラクチャーの生産を美術家の養成といった枠組みに着地させることとは無縁の、むしろ非=美術に対する全面的な開放系としての工場であるからだ。
 だから我々はあらゆる場所に四谷Art Studiumを出現させなければならない。朝の食卓でパンを手に取るときに、コップで飲料を摂取するときに四谷Art Studiumを出現させなければならない。「僕は書く 君の名前を」というインフラストラクチャーを構築したポール・エリュアールにならって、日ごとの白いパンの上に、結び合わされた季節の上に、切れ切れの青空すべての上に、嵐ににじむ汗の上に、思い出のない希望の上に、四谷Art Studiumを出現させなければならない。

2013年11月10日
松浦寿夫