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白井美穂映像作品全作上映と討議

見たまえ、馭者が子午線を通過しつつある!

 1980年代後半以後、様々な媒体を駆使し、その複合的な被知覚態の分離と連結という相反する作業による明晰な組織化として自らの作品を提示してきた白井美穂氏の映像作品のすべてを、作者のご好意によって一挙上映する機会を設けることができた。もちろん、これらの作品はヴィデオ・インスタレーションとして他の映像、事物との関係の相のもとに置かれた作品であるという点で、今回、単体としての各映像作品の上映は本来的な提示の文脈とは異なること、また、Art Trace Gallery 自体が映像の投影に理想的な環境であるとは言い難い点に関しては、作者ならびに皆様にあらかじめ深くお詫びしておきたい。それにもかかわらず、今回の試みの理想的とは呼びがたい条件がこれらの作品それ自体に何ら毀損をもたらしえない事実を、改めて、今回の上映会は証明することになるだろう。なぜならば、これらの作品群が、マテリアルの次元を事実問題として必要とするにしても、それ自体として存立しうるからである。改めて指摘するまでもなく、それが作品の自律性ということに他ならない。

 今回上映する最初の作品、「芸術のための3部作」の第一篇、「創造行為」は1957年にマルセル・デュシャンが口頭で発表したテクストの題名であり、実際、この作品ではデュシャンのテクストが全文、白井氏自身によって朗読されている。そして、この謎めいたテクストの後半において創造行為への観者の介入、ないし精錬作業が示唆されているが、いわば、この論点に対する美しい追補として構想されたこの作品から一連の映像作品が制作されたことはきわめて示唆的である。また、ここでデュシャンは不活性物質の変性という錬金術を示唆せずにはおかない表現を用いている。この意味場が同時に霊媒(メディウム)としての芸術家という冒頭の定位を保証するものであると同時に、芸術家がマテリアルな次元で依拠する不活性物質もまた、媒体(メディウム)であるとすれば、芸術家もまた創造過程での実体変化を遂げざるをえないはずである。また、芸術作品を芸術家の意図から切り離し、その価値決定における観者の役割を強調するかにみえるこの文章が示唆する点は、芸術作品が作者にも、受容者にも帰属しえないものであること、つまり、作品が自律的であるという事実である。つまり、「絵具、大理石、ピアノ等」の不活性物質の条件に作品がその存続を事実問題として規定されているにせよ、作品はその自己保存の能力によって自律し、存続し、また、この自己定立によって、作者からも、観者からも独立しているということだ。
 そして、白井氏のこれらの自律的な作品は、映像、語り、音響という複数のシークエンスを分離=連結する操作によって―また各シークエンス内部における分離=連結の操作を含めて―、破砕されたいくつもの感覚のブロックがその可変的かつ可塑的な連結によって、観者が把握対象としての意味に到達することを際限なく遅延させることになるだろう。その意味で、ここで提示されるものは、「ガラス製の遅延」にならっていえば、「映像による際限なき遅延」に他ならない。それはまた、「永遠の午後」という美しい題名に掲げられた永遠という語が示唆する事態に他ならず、「たとえマテリアルが二、三秒しか持続しなくても、その短い持続とともに共存する永遠性のなかで、存在し、それ自体において保存される能力を、マテリアルは感覚に与えるだろう」(ドゥルーズ=ガタリ、『哲学とは何か』)。

 追記
  なお、今回の企画の題名は、光の誤差から、痛みを伴った意味への到達の遅延を知覚可能なものとすることに成功した田村隆一の美しい詩篇、「光りと痛み」の詩句から引用した。 また、カルヴィン・トムキンスの『花嫁と独身者たち』に引用された談話で、デュシャンは、「私はかつて、すべての言語は同語反復になる傾向があるので無意味なのだということを証明するイギリスの哲学者のグループに興味を抱いたことがある。私は彼らの『意味の意味』というその本を読もうとさえした。私にはそれが読めなかったし、むろん一語も理解できなかった。しかし、私は〈コーヒーは黒い〉といった文章にのみ何か意味がある―直接、感覚で知覚された事実だけが、何か意味があるという彼らの考え方に賛成する。そこをこえて、抽象に入る瞬間、わからなくなってしまう。」と指摘している。ここで、デュシャンが指摘する「直接、感覚で知覚された事実」こそが、被知覚態(percept)であり、情動態(affect)である。そして、ドゥルーズ=ガタリによれば、この両者を、主体の知覚(perception)および情動変化(affection)から分離し、マテリアルとともにこの両者を複合化するものが芸術作品であるといえるだろう。

松浦寿夫



上映作品一覧

The Trilogy for Art
 1. The Creative Act 2007
 2. Restaurant Wild Cat House 2007
 3. L’Amour 2007
Forever Afternoon  2008
Unknown Binding  2009
Train in Vein   2009
Overcome Modernity  2013


パネリスト

白井美穂(美術家)
林道郎(美術批評家)
松浦寿夫(画家)


日時:2017年4月15日(土) 19:30〜
場所:アートトレイスギャラリー
定員:40名
参加費:700円



参加をご希望の方は info@arttrace.org まで、お名前と「4月15日座談会申し込み」の旨をご連絡ください。
お問い合わせ、ご質問につきましても info@arttrace.org にて承ります。
※定員を超過した場合は締切とさせていただく事もございます。
※当日開始時間にご来場いただけなかった場合、ご予約をされていても立見となる可能性がございます。申し訳ございませんが何卒ご了承ください。
※お申し込みいただいた方には、今後ART TRACEより展示、イベント等の情報を配信いたします。 (今回の参加のみご希望の方は、お申し込み時「情報配信不要」の旨をメールにご記載願います)




パネリストプロフィール

白井 美穂(しらい みお)

京都生。1986年東京藝術大学美術学部絵画科卒業、1988年同大学院美術研究科修士課程修了。1993年から2006年までニューヨークに在住し、現在東京在住。その作品は国内外で幅広く発表されている。主な展覧会に1991年「インド・トリエンナーレ」ラリット・カラ・アカデミー(ニューデリー)、「ザ・サイレント・パッション」栃木県立美術館、1992−1993年「Bolande, Dopitova, Rist, Shirai」シェドハーレ(チューリッヒ)、プラハ市立美術館(プラハ)、2000年「越後妻有アートトリエンナーレ」松代町(新潟)、 2008年「アーティスト・ファイル2008」国立新美術館(東京)、個展「Forever Afternoon」ノーザーン・ギャラリー・フォー・コンテンポラリーアート(サンダーランド、イギリス)、2013年「瀬戸内国際芸術祭」宇野港(岡山)、「あいちトリエンナーレ」愛知県美術館(愛知)、等。なお、2017年には市原湖畔美術館での絵画展(6月4日から7月30日)、Time & Style(六本木ミッドタウン)での個展(7月28日から10月1日)等が予定されている。

Webサイト
http://www.mioshirai.com

林 道郎(はやし みちお)

1959 年函館生まれ。1999 年コロンビア大学大学院美術史学科博士号取得。武蔵大学准教授を経て、現在上智大学国際教養学部教授。美術史および美術批評。主な著作に『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全7冊、ART TRACE、2003-9)。『死者とともに生きる』(現代書館、2015年)。「Tracing the Graphic in Postwar Japanese Art」(Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde, New York: The Museum of Modern Art,2012)、共編書に『シュルレアリスム美術を語るために』(鈴木雅雄と共著、水声社、2011 年)、From Postwar to Postmodern: Art in Japan 1945-1989 (New York: The Museum of Modern Art, 2012)などがある。『アジアのキュビスム』展(東京国立近代美術館、2005 年)にはキュレーターとして参加。

松浦 寿夫(まつうら ひさお)

1954 年、東京生まれ。画家、批評家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。現在、東京外国語大学教授。西欧近代絵画の歴史/理論を研究すると同時に、絵画制作活動を続け、なびす画廊などで個展多数。編著として『シュポール/シュルファス』(水声社 1984年)、共同編著として、『モダニズムのハード・コア:現代美術批評の地平』(太田出版 1995年)、共著として、『モデルニテ3×3』(思潮社 1998年)、共訳として、ティエリー・ド・デューヴ著『芸術の名において〜デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント〜』(青土社 2001年)などがある。