レクチャーシリーズ「生還する山田正亮」第4回(全5回)
山田正亮 あるいはAの不在
左 Work C.73 180×68cm 1960 右 Work C.77 180×68cm 1960 東京国立近代美術館蔵
山田正亮にしばしば付加される「孤高の」という形容詞の神話作用が単なる方便とはいわないまでも、それが単に無意味な形容詞にすぎないことは改めて指摘するまでもない。というのも、画面と向かい合う制作の非連続的な局面でたえず決断の特異点に産出される描く主体としての画家にとって、ひとつひとつの選択は孤独な選択でしかありえないのだから、孤高でない画家など論理的に存在しえないからだ。また、制作の駆動が縦横に交差する問題群の網状組織の内部においてしか開始されえないものであるとすれば、少なくとも制作の端緒においてこの網状組織の外部に孤立した拠点を確保することも論理的に不可能だからだ。
これまで3回のセミナーは、もっぱら山田正亮の絵画作品の精密な分析とその変貌の過程に焦点をあてる試みであったが、今回は、山田正亮という画家を産出することを可能にした問題群の網状組織の検討を試みようと思う。あらゆる体系が、ヘーゲル的な意味での「端緒の困難」を解消せざるをえない任務を自らに課さざるをえず、この解消はヘーゲル自身が示して見せたように、円環的な構造という文彩を要請する。そして、山田正亮がその晩年においてとりわけ顕著であったように、自らの制作の過程をまさにこの円環的な文彩によって記述することにきわめて強い執着を示していたことを想起してみよう。この執着はいうまでもなく、自らの絵画の体系の自律性の確保の欲望を露呈させるものであり、また、ごく端的に「端緒の困難」の解消というよりも隠蔽の所作といえるかもしれない。そして、この端緒の解消はWorkの連作がBから開始される点、つまりWork-Aの不在によって示されている。
ともあれ、山田正亮の制作をさまざまな問題群の枠組みとの関連のもとに検討する試みは必ずしも可能な影響関係の指標を探索することではない。いかなる確証も不可能にするためであるかのように、実際、このような指標は画家本人によって注意深く消去されているし、時折、書き留められる指標も、未来の観者の視線をあらぬ方向に誘導する企てでもあるのかもしれない。その意味で、この体系それ自体が虚構的な体系とさえいえるだろう。そこで、いま一度、絵画制作の幼年時代に回帰してみることから、今回のセミナーを開始しようと思う。以前、どこであったか、藤枝晃雄が山田正亮の制作を、「塗る」という動詞とともに記述したことに注目しよう。この文脈では、当然のことながら、「塗る」という動詞は「描く」という動詞と対立的な関係のもとに置かれている。そして、藤枝晃雄の留保は、「描く」ことによってではなく、「塗る」ことによって、同時代の最良の作品の一群が達成されたという判断にともなう戸惑いを示している。この「描く」という契機を欠く一群の絵画を日本美術史は抽象絵画と名指すことになるが、それが奇妙な装飾性の様相を呈する点を再検討する必要があるだろう。
松浦寿夫
パネリスト
松浦寿夫
中林和雄
日時:2016年8月19日(金) 19:15〜
場所:アートトレイスギャラリー
定員:50名
参加費:600円
参加をご希望の方は info@arttrace.org まで、お名前とご連絡先(お電話番号)、「8月19日山田正亮レクチャー申し込み」の旨をご連絡ください。
お問い合わせ、ご質問につきましても info@arttrace.org にて承ります。
※定員を超過した場合は締切とさせていただく事もございます。
※当日開始時間にご来場いただけなかった場合、ご予約をされていても立見となる可能性がございます。申し訳ございませんが何卒ご了承ください。
※お申し込みいただいた方には、今後ART TRACEより展示、イベント等の情報を配信いたします。
(今回の参加のみご希望の方は、お申し込み時「情報配信不要」の旨をメールにご記載願います)
パネリストプロフィール

松浦 寿夫(まつうら ひさお)
1954年、東京生まれ。画家、批評家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。現在、東京外国語大学教授。西欧近代絵画の歴史/理論を研究すると同時に、絵画制作活動を続け、なびす画廊などで個展多数。編著として『シュポール/シュルファス』(水声社 1984年)、共同編著として、『モダニズムのハード・コア:現代美術批評の地平』(太田出版 1995年)、共著として、『モデルニテ3×3』(思潮社 1998年)、共訳として、ティエリー・ド・デューヴ著『芸術の名において〜デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント〜』(青土社 2001年)などがある。
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