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キティちゃん
4月末、アムステルダムに1冊の本が送られてきました。「複合的表現—絵画からの展開—」という、武蔵野美大油絵学科プロデュースの教科書です。そこに私が学生の頃につくった作品が載っていて、それはスヌーピーをモチーフにつくったドローイングをファイルにしたものです。
スヌーピーを執拗に描いたのは、キティちゃんが描けなかった、描くべき対象じゃなかったからです。その判断が私の手を動かす動機となりました。
話は遡りますが、3月末、ライクスで毎週行われるFilm Screening で上映された「Disco Ceremony」(2003、b_books、ドイツ)というフィルムを見ました。N.Y.のカリスマDJであるチャイニーズ・アメリカンの男性の姿を映したものでした。彼のDJプレイをそのまま音楽として使用し、そこをベースにN.Y.の街の風景のカットと車の移動のカット、それに彼自身のショットや友人との会話が挿まれ、彼というキャラクターと彼の音楽に自然に乗っかるように編集されて作られていた、気持ちのいいフィルムでした。
そのフィルムの中で印象的だったのは彼が出勤(DJプレイ)前に鏡の前で行う身支度。かっこいいシャツのボタンは何個目まで開けるか、袖はカフスを閉めるかロールアップか、サングラスは普通にかけるか襟口にひっかけるか、髪型をチェックし、香水をふって、ビシッと決まった鏡の中の自分を指差し腰に手を置きポーズを決めます。その一連の動作はとても目に楽しいもので、「撮るべきもの」というか、フィルムを通して捉えられるのに良い何か、だったように思います。
話をキティちゃんに戻します。
何故キティちゃんが描けなかったか。それを描くことは絵画の出来方にそぐわなかったからです。キティちゃんは描いても描いたことにならない商品アイコンです。スヌーピーはキャラクターで、切り取られたその背後にも故シュルツさん(原作者)の視線がある。だから自由に動くその姿を切り取ってもアイコンにはならない。伸びやかで目に楽しい。絵の具もそこに乗っかっていく。
既にアイコンだったものが後からストーリーをつけられ動いているのを見るのは気色悪い。そういう表面が目に働きかける自然な情報力を無視して作られるものには、センスないなあ〜と思ってしまいます。
資本主義とはいっても、やっぱり面白くないと満足できないよね〜。
P.S.今月の画像は内容とは関係ありません。オランダで一番でかいお祭りの日、クイーンズデー(前女王の誕生日)の様子とサント・ヴィクトワール山をお楽しみください。